2021-04-14 第204回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第4号
中学校三年生で担任をしたときに、当時は、もう三十年以上前の話になりますけれど、まだ不登校の概念がなく、登校拒否と言っていたような時代で、どうして学校に行けないのかということが社会が認知していないような時代でありました。 今日、池上参考人から様々なことをお伺いしながら、自分がやってきたことと重なる部分がたくさんありました。それは、私は毎朝行っていました。
中学校三年生で担任をしたときに、当時は、もう三十年以上前の話になりますけれど、まだ不登校の概念がなく、登校拒否と言っていたような時代で、どうして学校に行けないのかということが社会が認知していないような時代でありました。 今日、池上参考人から様々なことをお伺いしながら、自分がやってきたことと重なる部分がたくさんありました。それは、私は毎朝行っていました。
なお、平成四年度から平成九年度までは、学校嫌いを理由に一年度間に三十日以上欠席した児童生徒を登校拒否児童生徒として定義していたと承知をしておりますが、現在、もちろんこの定義は使っておりません。
かつて、登校拒否と言われ、学校に行かないことがあたかも悪いこと、あるいは後ろめたいことと言われていた昭和から平成の初期のころの考え方から文科省が転換をし、特定の児童生徒に特有の問題があることによって起こるものではなく、どの児童生徒にも起こり得ること、不登校については、多様な要因、背景により結果として不登校の状態になっているのであって、その行為は問題行為ではないと、不登校児童生徒が悪いという根強い偏見
下村大臣また西川副大臣、大変に誠実に御回答いただきまして、早速相談者の方にお伝えをしましたら、国が対応してくれたということで感動をしてくださって、登校拒否になっていたお子さんも高校進学に向けて一生懸命勉強を頑張ると、今度私の国会事務所の方にも来たいというふうにおっしゃってくださっていました。
どうしようもなくなりまして、結局、その息子さん、現在中学校三年生、中学一年の半ばからずっと登校拒否の、登校できないというような状態になっております。
まず、お手元の資料の一を御覧いただきたいと思うんですけれども、これは登校拒否の状態にある少年五十名を対象にした民間のアンケート調査の結果の一部であります。これを御覧いただきますと、登校拒否をしている子供のほとんどが個室を持っており、また、帰宅時に親と会わずに部屋に入っていくことがよく分かるわけでございます。
いじめとか親の虐待とか教師との不和など悩みを打ち明けることができる二十四時間相談電話というのを二〇〇六年に開設しておりまして、その翌年には、保健体育の先生、教師と医師など専門家たちが子供たちの心理ケアをするチャイルドラインあきたというのを発足しまして、そしてその翌年には、登校拒否の兆しを見せる子供たちを対象にして、あきたリフレッシュ自由学園というものをつくりまして、自然の中で地域の方たちと交流する心理
たまたま、この委員会に入ってくる前に地元からまた電話がございまして、登校拒否の子供がふえているんだと。それはなぜかといいますと、漁師さんで、漁に出られない、出られなくて酒浸りになっているというところもある、その姿を見て子供がだんだん学校にも行きたくなくなる、だから、早くとにかく漁業を再開してくれ、それから早く漁港を復活させてくれ、そういう要望も受けました。
それはやはり、我が子は登校拒否をするかもわからないけれども、公立はただになるんだ、あるいは私立も十二万から二十四万まで国がお金を出してくれるんだ、だから、我が子はとても高校には通えないかもわからないけれども、ともかく公立へ、あるいは私立へ一たん入れておこうというようなことで、後、高校に通えなくなったらサポート校でお世話してもらおうか、フリースクールでお世話してもらおうか、そういう親の心理が働いたのではないかとその
いわゆる不登校そして登校拒否というものが問題化されて、大変久しくなっております。しかし、小中学校に目を向けてみますと、全児童数は徐々に減っているものの、不登校の児童数は、この五年間見ただけでも、小学校で大体二万三千人前後、そして、中学校で十万人前後から減っていないのが現状です。
昨年に続いて二回目でございまして、私感動しましたのは、NHK学園の高等学校の卒業生が答辞を読むわけですが、その答辞を読んだ高等学校の卒業生は、実は私は中学時代は人に会うのが嫌だと、人間の不信感に陥っていたと、そういったことで登校拒否ですか、そういったことをやっておったんだけれども、NHK学園に入って自分はこういうふうにして勉強できるようになってきたということで、私は感動いたしました。
何といったって、登校拒否していた子供が行っちゃったりして、成長するんですね。もっとも、帰ってきてまた登校拒否になったりするんですけれども。 それはともかく、そういう過程の中で子供たちが成長していく、こういうことが非常に大事なことだと私は思っております。
管理会社さんから聞いたことですけれども、言葉の問題で登校拒否になり、その結果犯罪につながるケースもあると伺っております。この辺のところは早急な対応が必要かと思っております。 また、将来ブラジルに戻って職に就きたいという子女もおると。
こういう事件がほかにもたくさん考えられると思いますが、特にひどいのは、何とかは死んでしまえとか、何とかはブスであるとか、そういう非常に嫌がらせ的にといいますか、相手に対して強烈なショックを与えるような表現で書き込みがされているわけでありまして、そしてまた、それが一たんうわさになって学校の中に広がったりすると、もう学校へ行くのは嫌だとか、登校拒否とか、こういう社会問題にもつながっていくわけでありますので
殺された父親から、常々、人間はうそをついてはいけないと言われて育った中学二年の娘さんは、それを聞いて、大人はうそをつく、信用できないと言って深い人間不信に陥り、登校拒否すれすれまで行ったのでございました。
発達障害の子供さんたちへの周囲の無理解や対処の悪さから学校でのいじめや登校拒否などが発生することも多いと一方で聞いておりますし、その対処法が逆にきちんとちゃんとしていればそうした事態への対応にも役に立つんではないかとの思いを持ちます。 さらには、障害者の自立支援を進める中で就労支援に取り組んでいくことはもう言うまでもなく非常に重要なことであります。
登校拒否とかそういう形でどうしてもなかなか集団生活になじめない、そういうことで時間がもう少し必要な方。そういう方を除いて、全員が就労しております。半数が養護学校新卒で入ってきていただいています。あとの方は、離職者あるいはずっと家で引きこもっていた方。最近、高校を卒業して十五年間自宅におられた方が、一歩社会に踏み出したといいますか、そういう形で私どもの施設に入った方もおられます。
だけれども、チャレンジャー精神を付けろ、基礎、基本を付けろといっても、明日からまた登校拒否がばあっと増えてしまう、校長の名前だれだというような問題が出てきたり、いじめが出てくる。そういう中で、もうがんじがらめになっていることを早く気付かなきゃいけない。そのことを強く思って述べさせてもらいます。 一点目ですけれども、この経過の問題。
○内田参考人 いじめの質の変化という意味でいいますと、一九七〇年代に、校内暴力を抑えたらいじめが多発した、いじめを抑えたら登校拒否、不登校がふえたという現象が起きました。
あのとき学校に勇気を出して行っていなければ、もしかしたら登校拒否になっていたのかななんというふうに思うようなこともあるわけでございますけれども、そうした実態把握というものをいかにしていくのかということが大事だと思います。
病院及び相談室に来る子供たち、親御さんの話を聞くと、子供同士のいじめ、先生によるいじめなどが原因で登校渋り、登校拒否、不登校になる子供たちがたくさん来院いたしたり、来室いたしました。その子供たちがつくった資料があります。これは、登校拒否の子供たちによる登校拒否アンケート、東京シューレの子供たちがつくったものですが、当事者がつくった唯一のデータです。